梶 政雄とその世界

 

 

 

 

 

 

世界はツーリストにとって憧れのキャンバスだ。ここに、その憧れを現実のものにした男がいる。知る人ぞ知る、梶 政雄氏である。彼は1982年10月から6年間、9万キロ、世界69カ国を自転車で駆け巡って来た男である。彼は言う。大自然の美しさ、厳しさ、人の愛、そして・・・・。「明日は何かいいことがあるだろうと信じる気持ちがある限り、旅は続けられる」と。今、ロスアンゼルス郊外に滞在する彼のもとには、世界各国からサイクリストやアドベンチャー仲間が訪れる。彼は今、セールスエンジニアの仕事をしながら、人生最大のパートナー、ホリーさんと子育ての最中である。子供たちが大きくなるのを待って、次なるステージを描いているところである。
世界走破を達成した待井剛氏、現在バイクで南米を走行中の青山和広氏等々、多くのアドベンチャラーに彼は影響を与え続けてきた。当時、世界一周を自転車でやってしまおうなどという人間は稀有であり、その意味で彼はパイオニア的存在である。このような偉業を成し遂げた彼は表情、物腰とも穏やかそのものである。彼の気さくさ、気配りそして安心感を人に与える、その人柄が多くの人に助けられ、また多くの人が寄ってくる理由であろう。梶 政雄氏は今年で49歳。自転車で世界一周の旅に出かけたのは1982年10月。30歳の時であった。国内各地や1979年のヨーロッパ一周のツーリングですでに経験を積んでの旅立ちであった。彼が6年の旅で得た最高のもの・・・・それは彼の人生最大のパートナー、ホリーさんであろう。

彼女はアメリカ人でインターナショナルスクールの科学の教師。
イスラエルで知り合う。梶氏がアフリカでマラリアや肝炎で倒れた時に駆けつけ、看病を続けた。彼女はサイクリストとしても一流である。平和な日本で暮らしていたら、絶対得ることのできなかった多くの経験や思い出を彼は現地から"サイクルスポーツ"誌上に1983年1月から長期64回にわたって連載し続けた。多くの読者を魅了し、彼のように世界を走ってみたいと若者の目を輝かせたことはまちがいない。彼が経験した世界での出来事、エピソードに触れるだけでも面白いのではないだろうか。先に触れたように、彼は今、ホリーさんとともに子育て中。メガネをかけ、スーツにネクタイ姿で会社に行く。なかなかの長身である。そんな彼を見ていると昔のテレビ映画スーパーマンを思い出してしまう。突然、服を脱ぎ捨てて、空を飛ぶクラークケント、彼はクラークケントであるような気がしてならない。彼がしみじみ言うことがある。

「3週間その土地に住んでいると、何となくその土地がわかったような気がするんだよ。
さらに、3ヶ月間住んでいると、もうそこがだいたいわかったような気がするんだよ。
そして、3年たってみると、結局、何もわかっていなかったことがわかるんだ。」

文  湯谷 睦
(友人)

 

 

 

 

 

 

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